ラテン語学習のすすめ
ロレンツォ・ヴァッラ『ラテン語の粋美』序文
(2018/3、2022/11再掲)
現代人の武器といえば、やはりスマホである。電車に乗れば周囲はみな手元の画面に目を落としている。LINEか、Twitterか、あるいは新聞記事を追っているのか。いい大人が極彩色の通信ゲームに興じているのを見れば、眉をひそめ嘆いてみせようかとも思うが、やがてこちらも、用があるでもなく自分のスマホに手を伸ばす。ただ、目新しさが一周すれば、そのうちこうした儀式にも、きっとわれわれは飽き足らなくなるのではないか。ばらつきはあっても、これはアリストテレスも言ってるとおり、ひとにはみな知への欲求というものがあって、何かが当たり前になれば絶えずその先を求めようとするものだ。ならばその手のひらに、いっそのこと学問の道具を提供する、というのはどうだろう。お暇ならラテン語をどうぞ ———
ルネサンスの時代にヴェネチアのアルドという本屋が考えたのも、つまるところ、これと似たようなことだったのかもしれない。当時の書物はどれもそれなりの大きさがあって、教会や学校、また修道院といった特定の場所でなければ手に触れることはできず、ゆえに市井の人々が街中で読書するといった光景は見られなかった。そこにアルドは、八つ折り版と呼ばれる、いまでいう新書サイズの書物を登場させた。いわゆるイタリック書体は、この小さな紙幅に効率よく文字を並べるために考案されたものである。こうして街の人々は、自由人としての武器を手に入れる。アルドがいまの時代に生きていれば、間違いなくスマホやタブレットに目をつけたことだろう。
持ち運べる書物がハードとしての武器ならば、ソフトとしての武器はラテン語、それも「正しい」ラテン語であった。よくルネサンスは「古代の再生」と言われるが、言語の領域においては、中世に流通していた没趣味な学問ラテン語を仮想敵として、古代の「正しい」ないしは「生きた」ラテン語を復興することがひとつの旗印とされた。人文主義者の陣営は、大学に陣取るスコラ学者たちによる文字どおりの「神学論争」に乗ることを嫌い、連中はラテン語もろくに知らないバルバロイ(=蛮族)だ、というキャンペーンを張ったのである。近代にひろく定着することになる「暗黒の中世 / 輝かしい古代」という図式は、よくも悪くもここに淵源する。
15世紀イタリアのロレンツォ・ヴァッラ(Lorenzo Valla, 1407頃 - 1457)は、こうした運動の急先鋒である。じっさいその執拗な「揚げ足とり」は、大学教授たちの鼻をへし折るだけではすまなかった。中世を通して教皇領の根拠とされてきた「コンスタンティヌス帝の寄進状」が後代の偽書であることを、彼はその語学的知識を駆使して論証する。また、西ヨーロッパにおいて唯一の聖典とされてきたウルガタ聖書の文面を批判的に検討した『新約聖書校訂』は、公刊こそされなかったものの、後にエラスムスがその写本を修道院で発見、1505年に出版し、彼自身の校訂版『ギリシア語聖書』(1516年)の基礎とした。さらに『弁証学の再吟味』(Repastinatio dialecticae)では、スコラ学者の武器だった論理学を日常ラテン語の次元に引き戻し、換骨奪胎することまで企てている。つまりヴァッラとは、硬直化した既存の言語空間に根底から揺さぶりをかけるべく、革命としての古典学を主導した危険人物、もしくは英雄だったのである。
ここに取り上げる『ラテン語の粋美』(Elegantiae linguae Latinae)は、彼の死後1471年に出版されるやユマニストたちの惜しみない賛辞のうちに迎えられ、ルネサンス時代をとおして欧州各地で幾度となく再版される。全6巻はどこをとっても細かなラテン文法の話題で埋め尽くされているが、その序文に、時代の先導者たらんとする著者の尋常ならざる覚悟がうかがえる。言葉の熱に、こちらもあてられてしまう。
市民諸君、もうこれ以上、学問の都が蛮族どもに踏みにじられ荒廃するのを、
他人事のように傍観するのはやめにしよう。
いまこそ武器を手にとり、ともに立ちあがろうではないか!
——— というわけで最初の話題、つまりスマホの話に戻れば、小さな画面でも閲覧できるように少しだけ工夫してみました。鋭利な武器ですので、くれぐれも近隣で振り回さないようお願いします。
本邦初訳! いや、 おそらく史上初の現代語訳!
ロレンツォ・ヴァッラ『ラテン語の粋美』序文
1529年にマインツで出版された Iohannis Schoeffer の版による. 一部に正字法上の変更あり.
和訳および注解 堀尾 耕一
Laurentii Vallae
in libros Elegantiarum elegans ac docta praefatio.
ロレンツォ・ヴァッラによる
『粋美』諸巻への洗練された学識ゆたかな序文
Cum saepe mecum nostrorum maiorum res gestas aliorumque, uel Regum, uel populorum considero, uidentur mihi non modo ditionis nostri homines, uerum etiam linguae propagatione caeteris omnibus antecelluisse. Nam Persas quidem, Medos, Assyrios, Graecos, aliosque permultos, longe, lateque rerum potitos esse: quosdam etiam, ut aliquanto inferius quam Romanorum fuit, ita diuturnius imperium tenuisse constat: nullos tamen ita linguam suam ampliasse, ut nostri fecerunt. Qui (ut oram illam Italiae, quae magna olim Graecia dicebatur, ut Siciliam quae Graeca etiam fuit, ut omnem Italiam taceam) per totum paene occidentem, per Septentrionis, per Africae non exiguam partem, breui spaito linguam Romanam (quae eadem Latina a Latio, ubi Roma est, dicitur) celebrem, et quasi reginam effecerunt. et (quod ad ipsas prouincias attinet) uelut optimam quandam frugem mortalibus ad faciendam sementem praebuerunt; opus nimirum multo praeclarius, multoque speciosius quam ipsum imperium propagasse.
われわれの祖先たちの事績と、他国の王や人民のそれとに思いを致すにつけ、わが同胞は単に権力の拡大ばかりでなく、言語の拡散によっても、他のあらゆる民族を凌駕したように思われる。なるほど、ペルシア、メディア、アッシリア、ギリシア、その他じつに多くの民が、長期にわたり、また広大な版図をもって統治を誇った。ある民族などは、ローマのそれよりはいくぶん見劣りするものの、むしろより長期にわたって支配を維持したことが知られている。しかしながら、われわれの祖先が行ったようなかたちで自国の言語を広めた、という例を聞かない。彼らは、イタリアでもかつて大ギリシアと呼ばれていた地方、やはりギリシア人が居住していたシチリア島、イタリア半島全般は言うに及ばず、西方のほぼ全域、北方の、またアフリカの少なからぬ地域にわたり、短期間のうちにローマの言語を(これはまた、ローマが位置するラティウム地方にちなんでラテン語と呼ばれているわけだが)ひろめ、いわば女王にまで仕立て上げたのである。さらに属州そのものについて見れば、あたかも死すべき人間の種族に、なにか上等の果実を栽培するための苗を提供したとでもいうべきか。これは、支配権そのものを拡大したこと以上に、はるかに輝かしく、はるかに立派な事績であるに違いない。
ēlegans ac docta praefatiō: 第三者が付したタイトルであって著者によるものではない. Cum ~ consīderō: cum + 直説法で <時の cum 節>, saepe とあるので「〜するたびに」. mēcum consīdero で「内省する」. nostrōrum maiōrum: ここでの「われわれの祖先たち」とは, つまりは古代ローマ人のこと. ditiōnis: この属格は propagatione に落ちる. Nam ~ fēcērunt: <定動詞>は constat(非人称)で potītōs esse, tenuisse, ampliā(vi)sse の3つからなる<不定法構文>を従える. potior, -īrī は属格をとり「〜を所有する」. ここでの res は「統治」の意. quōsdam: おそらく中国などを念頭に置く. マルコ・ポーロがアジアを旅したのは13世紀の終わりである. ut ~ taceam: 「〜については黙っておくことにして=言うまでもなく」<挿入句>として. Septentriōnis: 「北」北斗七星に由来する語, この属格は partem に落ちる. Breuī spatiō: <時の奪格>「短期間で」. linguam Rōmānam ~ effēcērunt: celebrem および quasi rēgīnam は linguam Rōmānam に対する <述語的同格>. optimam ~ faciendam: = ad optimam quandam frugem faciendam <動名詞の代用としての動形容詞>. multō: 比較級などとともに用いられる <差異の奪格> に由来する副詞「はるかに」. opus: (中・単・主)<先行文に対する同格>.
Qui enim imperium augent, magno illi quidem honore affici solent, atque imperatores nominantur. qui autem beneficia aliqua in homines contulerunt, ii non humana, sed diuina potius laude celebrantur. Quippe qui non suae tantum urbis amplitudini, ac gloriae consulant, sed publicae quoque hominum utilitati, ac saluti. Itaque nostri maiores rebus bellicis, pluribusque laudibus caeteros homines superarunt, linguae vero suae ampliatione se ipsis superiores fuerunt, tamquam relicto in terris imperio, consortium deorum in caelo consecuti. An uero Ceres, quod frumenti, Liber, quod uini, Minerua, quod olei inuentrix putatur, multique alii ob aliquam huiusmodi beneficentiam in deos repositi sunt, linguam latinam nationibus distribuisse minus erit, optimam frugem, et uere diuinam, nec corporis, sed animi cibum? Haec enim gentes illas populosque omnes, omnibus artibus, quae liberales uocantur, instituit. haec optimas leges edocuit, haec uiam ad omnem sapientiam muniuit, haec denique praestitit, ne barbari amplius dici possent.
支配を拡張する者たちは、なるほど大きな栄誉を付与されるのが常であり、皇帝という呼称を得ている。これに対して、人々に少なからぬ恩恵を施す者たちは、人間の次元というより、むしろ神的な賛辞によって称えられる。彼らは自国の発展や威信ばかりでなく、万人共通の利益と安寧までをも図ったのだから。そこで、われわれの祖先は、戦争によって、また大いなる栄誉によって他の民に優越したわけであるが、じつに自国語の拡大によって、自らをも凌駕することになったのだ — あたかも地上の帝国を捨ておいて、天上に神々との交わりを求めるかのように。どうであろう、ケレスは穀物の、リベルは葡萄酒の、ミネルウァはオリーヴ油の発明者と見なされているがゆえに、また他の場合にも何らかこの種の恩恵ゆえに、神々に列せられた。ラテン語を諸々の民に提供したことが、それらに見劣りするだろうか。それこそ、至高にしてまことに神的な果実であり、肉体ではなく精神の糧なのだ。この言語が、諸民族および全人民を自由学芸と呼ばれるあらゆる技芸でもって教育したのであり、この言語が、最良の法律を教え、この言語が、あらゆる知へと通じる道を整え、つまりはこの言語が、異境の民に、それ以上の評判をとることができないようにしたのである。
illī: (男・複・主)文頭 quī の先行詞. quidem: 次文の autem と呼応して「なるほど〜ではある」のニュアンス. consulant: consulō, -ere は与格をとり「〜に配慮する」. relictō ~ imperiō: <絶対奪格>「帝国が残されて=帝国を後にして」. consortium: 立場を共有すること. An ~ cibum?: an minus erit? を骨格として「より劣るだろうか」という<修辞疑問>を構成. 不定法句が意味上の主語. Haec ~ instituit: instituō, -ere 「人に(対格)ものを(奪格)教える」, この奪格は<手段の奪格> に連なる. omnibus artibus, quae līberālēs uocantur: = artēs līberālēs いわゆる「自由学芸」のこと. amplius dīcī: 「多くを語られる」. nē ~ possent: <名詞的目的節>.
Quare quis aequus rerum aestimator non eos praeferat, qui sacra literarum colentes, iis, qui bella horrida gerentes clari fuerunt? Illos enim regios homines, hos uero diuinos iustissime dixeris, quibus non (quemadmodum ab hominibus fit) aucta res publica est, maiestasque populi Romani solum, sed (quemadmodum a diis) salus quoque orbis terrarum: eo quidem magis, quod qui imperium nostrum accipiebant, suum amittere, et (quod acerbius est) libertate spoliari se existimabant, nec fortasse iniuria. Ex sermone autem latino non suum imminui, sed condiri quodammodo intelligebant, ut uinum posterius inuentum, aquae usum non excussit, nec sericum, lanam linumque, nec aurum caetera metalla de possessione eiecit, sed reliquis bonis accessionem adiunxit. Et sicut gemma aureo inclusa anulo non deornamento est, sed ornamento, ita noster sermo accedens aliorum sermoni uernaculo, contulit splendorem, non sustulit. Neque enim armis, aut cruore, aut bellis dominatum adeptus est, sed beneficiis, amore, concordia.
したがって物事を公正に判断するならば、いったい誰が、忌むべき戦争を行うことで名声を得た者たちよりも、文芸の祭壇を愛でることでそれを手にした者たちのほうを評価しないだろうか。あちらが王家の一族なら、じつにこちらは、神々の一族と呼ぶのが至当であろう。彼らによって(人間の為せる業として)国家が拡大し、ローマ市民の威信が高まったばかりか、(神々の為せる業として)世界の安寧までもが増進したのだった。これは、次の事実からもいっそう明白である。われわれローマによる統治を受け入れた民は、自分たちが主権を喪失し、そして(さらに深刻なことに)自由を奪われた状態にある、と思っていた — おそらくはそれなりの根拠があって。その一方で、ラテン語によって自分たちの言葉が衰退するというより、むしろある意味で整えられると理解してもいた。ちょうど、葡萄酒が後から考案されたからといって水の需要を駆逐したわけではなく、あるいは絹が羊毛や亜麻を、黄金が他の金属を家財から追い出したりせず、むしろ残りの財産に余分を加えたことになる、そのようなものとして。また、金の指輪に埋め込まれた宝石は趣味をそぐものではなく、むしろ装飾となる。そのように、われわれの言葉は他の民の土着語に加わって、輝きを与えこそすれ、奪ったりはしなかった。武器や流血、戦争によってではなく、恩恵、博愛、協調によって、その支配権を手にしたのである。
quis ~ praeferat ? :<修辞疑問>. praeferatは <可能性の接続法>.「誰が(対)を(与)に優先するだろうか?」. aequus rerum aestimātōr「物事の公正な判断者」は quis に対する<述語的同格>. 「誰が公正な判断者として〜するだろうか」. bella horrida gerentēs: 現在分詞 gerentēs は主語 quī に対する<述語的同格>.「忌むべき戦争を行うことで」. Illōs ~ hōs ~: ille「あちら」(3人称的)に対して hic「こちら」(1人称的). 指示代名詞の指示性はつねに相対的であることに注意. ここでは「前者」,「後者」にはなっていない. dīxeris: 接続法・完了・2人称・単数, <可能性の接続法> および <一般化の2人称>. quibus nōn ~ aucta rēs publica est maiestāsque ~ sōlum: nōn は sōlum に落ちる「ただ〜ばかりでなく」. quibus は aucta est 完了・受動とともに <行為者の与格>. eō ~ magis quod ~: eō は quod 節を先取りする(中・単・奪)<差異の奪格>, 「quod 以下の分だけよりいっそう」. nec ~ iniuriā:「不当な仕方ではなく=それなりの根拠があって」. ut ~ nōn excussit, nec ~ eiēcit, sed adiunxit: ut + 直説法で<比較の ut>,「ちょうど〜のように」. ut は先行する quōdammodō の説明ともとれる. nōn dēornāmentō ~ sed ornāmentō: いずれも<目的の与格>ないしは与格の述語的用法,「〜に資する」.
Cuius rei (quantum coniectura suspicari licet) hoc, ut ita loquar, seminarium fuit. Primum, quod ipsi Maiores incredibiliter se in omni studiorum genere excolebant, ita, ut ne in re quidem militari aliquis, nisi idem in literis, praestans esse uideretur, quod erat caeteris ad aemulationem non exiguum incitamentum. Deinde, quod ipsis literarum professoribus praemia egregia sane proponebant. Postremo, quod hortabantur prouinciales omneis, ut cum Romae, tum in prouincia Romane loqui consuescerent. At (ne pluribus agam) de comparatione imperii sermonisque Romani, hoc satis est dixisse. Illud pridem tanquam ingratum onus, gentes, nationesque abiecerunt, hunc omni nectare suauiorem, omni serico splendidiorem, omni auro gemmaque pretiosiorem putauerunt, et quasi Deum quendam e caelo demissum, apud se retinuerunt.
こうした現象のいわば「苗床」となったのが、(推測が許される範囲で言えば)以下の点である。第一に、祖先たち自身が、信じがたいほどにあらゆる分野の学術に邁進していた。それは、たとえ軍門にあっても、文芸に秀でていないかぎりはひとかどの武人と見なされなかったほどであり、このことは他の者たちの競争心を少なからず駆り立てていた。第二に、当の学芸の教師たちには、きわめて高額な報酬が用意されていた。最後に、属州民たちのいずれもが、ローマにおいても属州にあっても、ローマの言語で話す習慣を身に付けるよう努めていたことが挙げられる。いや、(多くの言葉を費やさないよう)ローマの権力と言語との比較については、こう言っておけば十分であろう。かつて統治のほうは、およそ迷惑な重荷のごとくに投げ出した諸々の民も、言語についてはいかなる神酒よりも甘美、いかなる絹物よりも絢爛、いかなる黄金や宝石よりも貴重なものと考えた。そしてそれを、天上から遣わされたいずれかの神であるかのごとくに、自分たちのもとに留めおいたのである。
coniectūrā suspicārī licet: licetは非人称, coniectūrā は<手段の奪格>. Prīmum, quod ~. Deinde, quod ~. Postrēmō, quod ~.: これらの quod は理由を導く接続詞. nē ~ mīlitārī: nē ~ quidem で挟まれた単語ないしは語句が強く否定される. ここでは前置詞句 in rē mīlitārī を否定,「軍事にあってさえ〜ない」. quod ~ incitāmentum: この quod は先行する文全体を受ける関係代名詞(中・単・主). cum ~, tum ~: 「〜も〜も」, Rōmae は<地格>. nē plūribus agam: <挿入句>として. plūribus は uerbīs「言葉」 の省略を見る(中・複・奪),<手段の奪格>. Illud ~, hunc ~: 突き放すべき対象が illud(あちら=権力), 擁護すべき対象が hunc(こちら=言語).
Magnum ergo latini sermonis sacramentum est, magnum profecto numen, quod apud peregrinos, apud Barbaros, apud hostes, sancte ac religiose per tot secula custoditur, ut non tam dolendum nobis Romanis, quam gaudendum sit, atque ipso etiam orbe terrarum exaudiente gloriandum. Amisimus Romam, amisimus regnum, amisimus dominatum, tametsi non nostra sed temporum culpa, uerum tamen per hunc splendidiorem dominatum, in magna adhuc orbis parte regnamus. Nostra est Italia, nostra est Gallia, nostra Hispania, Germania, Pannoia, Dalmatia, Illyricum, multaeque aliae nationes. Ibi namque Romanum imperium est, ubicunque Romana lingua dominatur.
したがって、ラテン語には大いなる神聖さが存し、間違いなく、大いなる神威が具わっている。異邦の民のもと、蛮族のもと、敵対勢力のもとで、それはかくも長い歳月にわたって篤く敬虔に見守られているのであるが、われわれローマ人としてはそうした現状を嘆くよりもむしろ喜ぶべきであって、全世界を観衆としてそれを誇るべきなのだ。われわれはローマを失い、領土を失い、支配を失ったが、しかしそれは、われわれのせいではなく、時代のせいである。だが、もっとはるかに素晴らしいこの統治によって、われわれは今日なお、世界の大部分に君臨しているのだ。イタリアはわれわれのもの、ガリアはわれわれのもの、ヒスパニア、ゲルマニア、パンノイア、ダルマティア、イリュリクム、その他多くの国々はわれわれのものである。ローマの統治が及ぶところ、ローマの言語が主の座を占めるのだから。
quod ~ custōditur: quod は numen を先行詞とする関係代名詞(中・単・主). ut nōn ~ glōriandum: nōn tam A quam B で「A というよりむしろ B」, dolendum, gaudendum, glōriandum は sit と結んで <動形容詞の述語的用法>, いずれも(中・単・主)で非人称的. nōbīs Rōmānīs は<行為者の与格>. nōn nostrā sed temporum causā: 属格 + causā で「〜のために、〜のせいで」, 人称代名詞の場合は所有形容詞を用いて causā の性・数・格(女・単・奪)に合わせ, nostrā causā, meā causā などとする。
Eant igitur nunc Graeci, et linguarum copia se iactent. Plus nostra una effecit, et quidem inops (ut ipsi uolunt) quam illorum quinque (si eis credimus) locupletissimae. et multarum gentium uelut una lex, una est lingua Romana, unius Graeciae (quod pudendum est) non una, sed multae sunt tanquam in Republica factiones. atque exteri nobiscum in loquendo consentiunt, Graeci inter se consentire non possunt, nedum alios ad sermonem suum se perducturos sperent. Varie apud eos loquuntur authores, Attice, aeolice, ionice, dorice, κοινῶς. Apud nos, id est apud multas nationes, nemo nisi Romane, in qua lingua disciplinae cunctae libero homine dignae continentur, sicut in sua multiplici apud Graecos. Qua uigente quis ignorat, studia omnia, disciplinasque uigere, occidente occidere? Qui enim summi Philosophi fuerunt, summi oratores, summi Iure consulti, summi denique scriptores? Nempe ii, qui bene loquendi studiosissimi.
ここで、ギリシア人たちは好きにさせておこう、せいぜい言葉の多様さを自慢するがよい。われわれの一つの、そしてなるほど乏しい(とあちらは言いたいのだろうが)言語は、彼らの(連中を信じるならば)たいへん豊富な五つの言語よりも、さらに多くのことを成し遂げたのだ。そして、複数の民族にとって唯一絶対の法であるかのごとくにローマの言語は一つであるが、一つのギリシア世界にあってその言語が一つではなく複数あるというのは(これは恥ずかしいことなのだ)、国家における内紛のごときである。また、外地の者であってもわれわれローマ人とは会話で意思の疎通が図れるが、ギリシア人は自分たちの間でさえ意思伝達がままならないのであり、ましてやその言語を他の民族にひろめようなどと望むにはほど遠い。彼らの場合、著作家たちの言葉もアッティカ方言、アイオリス方言、イオニア方言、ドーリス方言、共通ギリシア語とまちまちである。われわれにあっては、それはつまり多民族のあいだでということだが、誰もが例外なくローマの言葉で話す。その言語のうちに、自由人にふさわしいあらゆる学芸が含まれているのであり、ギリシアの複数の言語のうちにそれらが存するのと違いはない。言語に活力があればあらゆる学問は栄え、言葉の衰退とともにそれらも凋落する。だれ知らぬ者があろうか。じっさい最高の哲学者、最高の弁論家、最高の法律家とは、つまりは最高の著述家とは、はたしてどんな人たちであったか。よく語ること、これに惜しみない熱意を注いだ人々であったに違いない。
Eant ~ se iacent: eant, iactent はいずれも<命令の接続法>. そうは言うものの, ヴァッラは西ヨーロッパにおいて本当の意味でギリシア語に精通しえた最初の人物と評しても過言ではなく,『イリアス』の前半数巻, あるいはトゥキュディデス全巻のラテン語訳を完成させている. とくに後者は今日なお学問的価値を失っていない. Plūs ~ locupletissimae: このあたり, 代名詞の正確な把握がとくに要求される. plūs(中・単・対)は effēcit の目的語. nostra una, inops は(女・単・主)で lingua を, quinque locupletissimae は(女・複・主)でlinguae をそれぞれみる. ipsī, illōrum, eīs はいずれもギリシア人を指す. ギリシア語は以下にもあるとおり多様な方言をもつ. 対してラテン語は都市ローマの言語が同心円的に広まったものであり, 基本的に地域差はない(後代にその方言形がイタリア語, スペイン語, フランス語等として定着). Varie ~ κοινῶς: Atticē から κοινῶς [koinōs] まで, いずれも loquuntur にかかる副詞のかたち. Quā uigente:<絶対奪格>, quā は linguā をみる. quis ignōrat ~ ?:<修辞疑問>. Quī ~ ?: quī は疑問代名詞 (男・複・主), quis の複数形. bene loquendī: loquendī は動名詞 (中・単・属).
Sed me plura dicere uolentem impedit dolor, et exulcerat, lachrymarique cogit intuentem, quo ex statu, et in quem facultas ista reciderit. Nam quis literarum, quis publici boni amator a lachrymis temperet, cum uideat hanc in eo statu esse, quo olim Roma capta a Gallis? omnia euersa, incensa, diruta, ut uix capitolina supersit arx. Siquidem multis iam saeculis non modo latine nemo locutus est, sed ne latina quidem legens intellexit. Non philosophiae studiosi philosophos, non causidici oratores, non Leguleii iureconsultos, non caeteri lectores ueterum libros perceptos habuerunt, aut habent: quasi amisso Romano Imperio, non deceat Romane nec loqui, nec sapere, fulgorem illum latinitatis situ ac rubigine passi obsolescere.
しかしながら、これ以上話を進めようと思っても、苦い痛みが私を押しとどめ、傷をうずかせる。あの権勢が、いかなる地位から、いかなる境涯へと転落してしまったかを思うにつけ、涙せずにはいられないのだ。文芸を愛し、公共の善を愛する者の誰が涙を抑えられようか、かつてローマがガリア人どもに占領された、あの惨状に、わがラテン語が陥っているのを目にするならば。何もかもがひっくり返され、火をかけられ、打ち壊されて、かろうじてカピトリウムの砦を残すばかりである。なにしろすでに幾世紀にもわたって、誰もラテン語で話してこなかったばかりか、ラテン語を読んでも理解できなくなっていたのだから。哲学の探究者も哲学者を、弁護士も弁論家を、法律家も法学者を、その他の読者も古代人による諸々の書物を、理解してはこなかったし、今日なお理解していない。あたかもローマ帝国を失ってはローマの言葉を話すのも読むのも場違いだといわんばかりに、かのラテン語の輝きが黴と錆とで腐食していくのを、放っておいたのだ。
quō ~ reciderit: <間接疑問> = ex quō statu in quem [statum]. quis ~ temperet ~?: <修辞疑問>, temperet は<可能性の接続法>. quō ~ ā Gallis: = in quō statū est Roma capta. 以下の記述は前390年頃とされるガリア人(=ケルト人)によるローマ侵攻とその回復に取材したもの. リウィウス『歴史』第6巻を参照. なおヴァッラは, すでにペトラルカが先鞭をつけていたリウィウス本文の校訂にも取り組んでいる. omnia ~ ēuersa, incensa, dīruta: いずれも(中・複・主), sunt の省略をみるが, 複合的に完了受動とみるより, 状態をいいあてた形容詞ととりたい. ut ~ supersit が<本時称対応>であることからも。librōs perceptōs habuerunt: perceptōs は librōs に対する<述語的同格>. fulgorem ~ passī obsolescere: passī は<形式受動相> patior の完了受動分詞(男・複・主), 先行するhabuērunt ないし habent の主語に対する<述語的同格>. ここでは fulgorem illum が obslolescere するのを甘受する, の意.
Et multae quidem sunt prudentium hominum, uariaeque sententiae, unde hoc rei acciderit. quarum ipse nullam nec improbo, nec probo, nihil sane pronuntiare ausus, non magis quam cur illae artes, quae proxime ad liberales accedunt, pingendi, sculpendi, fingendi, architectandi, aut tamdiu tantoque opere degenerauerint, ac pene cum literis ipsis demortuae fuerint, aut hoc tempore excitentur, ac reuiuiscant, tantusque tum bonorum opificum tum bene literatorum prouentus. Verum enimuero quo magis superiora tempora infelicia fuere, quibus homo nemo inuentus est eruditus, eo plus his nostris gratulandum est, in qubus (si paulo amplius adnitamur) confido propediem linguam Romanam uirere plus, quam urbem, et cum ea disciplinas omnes restitutum iri.
何ゆえこのような事態に立ち至ってしまったのか、それについては炯眼の人士による、多種多様な見解がある。私としてはそれらについて否定も肯定もしないし、あえて何ほどかの発言をするつもりもない。それは、近ごろになって自由学芸に仲間入りした、絵画、彫刻、塑像、建築といった諸技芸が、あるいは何ゆえかくも長期にわたりあれほどまでに没落し、文芸ともども瀕死の状態に陥っていたのか、あるいは何ゆえ当代になって隆盛を誇り、再び活気を取り戻しているのか、という問題についても同様である — 優秀かつ文芸にも通じた創作家が、あれほど数多く輩出しているわけであるが。しかしじっさい、先行する時代が不遇であればあるほど(なにしろ教養ある人士がただの一人も見出せなかったわけで)なおいっそう、このわれわれの時代に感謝すべきなのだ。いまや、もうほんの少しばかりわれわれが努力を惜しまないなら、ローマの言語がその街並み以上に生気を帯び、かのあらゆる学術ともども再建される日も近いことを、わたしは確信している。
undē ~ acciderit: acciderit は接続法・完了, sententiae に従属する<間接疑問>. hoc reī はそれぞれ(中・単・主)および(女・単・属)で「事柄のうちのこれ=この事柄」, <部分属格>に連なる用法. nōn magis quam ~: 「〜がそうでないのと同じく」. cur illae arte ~ aut dēgenerāuerint ac ~ fuerint, aut excitentur ac ~ reuiuiscant: <間接疑問>, やはり先行する sententiae をみる. tantusque ~ prouentus: これも文法的には間接疑問文に含まれる. quō magis ~ gratulandum est: quō magis <A>, eō plus <B> 「 A であればあるほど、それだけ B である」fuēre = fuērunt. quibus および his nostris はいずれも temporibus をみて(中・複・奪), <時の奪格>. gratulandum est は<動形容詞の述語的用法> ,(中・単・主)で非人称. cum eā: eā はlinquā Rōmānā をみる. restitutum īrī: 不定法・受動相未来.
Quare pro mea in patriam pietate, immo adeo in omneis homines, et pro rei magnitudine cunctos facundiae studiosos, uelut ex superiore loco libet adhortari euocareque, et illis (ut aiunt) bellicum canere. Quo usque tandem Quirites (literatos appello, et Romanae linguae cultores, qui et uere et soli quirites sunt, caeteri enim potius inquilini) quo usque inquam quirites urbem uestram - non dico domicilium imperii sed parentem literarum – a Gallis esse captam patiemini, id est, latinitatem a barbaris oppressam? quo usque profanata omnia duris et paene impiis oculis aspicietis? An dum fundamentorum reliquiae uix appareant?
こうしたわけで、祖国に対する、というより全人類に対するわたしの誠意にかけて、そして事の重大さに鑑みて、言論の力を追究するすべての人々をいわば高いところから鼓舞激励し、彼らにいわゆる進軍ラッパを鳴らすことが許されよう。いったいいつまで、市民諸君(文学の士たちを、そしてローマの言語に精通した者たちをこう呼んでおこう、この人々こそが真の、そして唯一のローマ市民なのであって、むしろそれ以外はよそ者と称すべきなのだ)、いつまで市民諸君、言わせてもらおう、君たちの町が(といっても統治の拠点ではなく文学の親としてのローマが)ガリア人どもに占領されるがままに、というのはつまり、純正なラテン語が蛮族どもに抑圧されるがままに、放っておくつもりなのか。いつまでこの冒瀆の一部始終を、冷酷でほとんど不敬ともいうべき視線で眺めているつもりなのか。建造物の礎がもはや残骸となって、ほとんど見分けがつかなくなるまでか。
Quō usque tandem ~ ?: キケロの有名な「カティリナ弾劾演説」第1弁論の出だしを思わせる。Quirītēs: ローマ市民を指す呼称. サビニ族の町 Curēs に由来. inquam: <可能性の接続法>, 挿入句として. patiēminī: patior(既出, 第7節参照)の未来(1人称複数). urbem uestram が esse captam されるのを, つまり, latinitātem が oppressam されるのを甘受する. dum ~ appareant?: appareant は接続法, aspiciētis の主語(君たち)における主観性を投影して. 反語的な挑発.
Alius uestrum scribit historias, istud est, Veios habitare, alius graeca transfert, Ardeae considere, alius orationes, alius poemata componit, istud est, capitolium arcemque defendere. Praeclara quidem res, et non mediocri laude digna, sed non hoc hostes expellit, non patriam liberat. Camillus nobis Camillus imitandus est, qui signa (ut inquit Vergilius) in patriam referat, eamque restituat, cuius uirtus adeo caeteris praestantior fuit, ut illi, qui uel in Capitolio uel Ardeae uel Veiis erant, sine hoc salui esse non possent. Quod hoc quoque tempore continget, et caeteri scriptores ab eo, qui de lingua latina aliquid composuerit, non parum adiuuabuntur.
諸君のうち、ある者は歴史を著しているが、これはつまりウェイイの平定に相当する。またある者はギリシア語を翻訳をしているが、これはアルデアに陣取ることだろう。ある者は弁論を、またある者は詩歌を作成しているが、これはカピトリウムとその砦を守ることにほかならない。なるほどこれらは立派な戦果であり、少なからぬ称賛に値する。ただしかし、これでは敵どもを追い払うことにはならない、祖国の解放とはいかないのである。カミッルスだ、われわれはカミッルスをこそ見習うべきなのだ。彼こそは(ウェルギリウスが語るとおり)軍旗を祖国に取り戻し、それを再び据え直した。その武勇は他をはるかに凌いだのであり、あるいはカピトリウムに、あるいはアルデアやウェイイにいた者たちも、彼なしには無事ではすまなかったのだ。これは今回の場合にもきっと当てはまるのであり、他の著述家たちは、ラテン語について何らかの著作をまとめ上げた者から、少なからず助勢を受けとることになるだろう。
Alius ~ defendere: ひきつづきガリア人襲来前後の話題から. ウェイイ, アルデアはいずれもローマ近郊の町. カピトリウムの丘はロムルスが建国を宣言した場所であり, 文字どおりローマの要. Camillus nōbis imitandus est: <動形容詞の述語的用法>ここでは人称的, nōbīs は<行為者の与格>. カミッルスは以下にもあるとおり、一連の動乱において最大の功績があった救国の英雄. ut inquit vergilius: 『アエネイス』第6巻 825行. Quod ~ continget: quod は <先行文を受ける関係代名詞>(中・単・主). hōc ~ tempore: <時の奪格>. quī ~ composuerit: composuerit は(接続法・完了ではなく)未来完了とみる. <定動詞> adiūuābuntur の未来を基準として.
Equidem (quod ad me attinet) hunc imitabor, hoc mihi proponam exemplum, comparabo (quantulumcumque uires meae ferent) exercitum, quem in hostes quam primum educam. Ibo in aciem, ibo primus, ut uobis animum faciam. Certemus, quaeso, honestissimum hoc pulcherrimumque certamen, non modo ut patriam ab hostibus recipiamus, uerum etiam ut in ea recipienda quis maxime Camillum imitabitur appareat. Difficillimum quidem praestare, quod ille praestitit, omnium imperatorum mea sententia maximus, riteque secundus a Romulo conditor urbis appellatus. Ideoque plures, pro se quisque in hanc rem elaboremus, ut saltem multi faciamus quod unus effecit. Is tamen iure uereque Camillus dici existimarique debebit, qui optimam in hac re operam nauauerit. De me tantum affirmare possum, non quod sperarem tantae me rei satisfacturum, difficillimam sumpsisse laboris partem, durissimamque prouinciam, sed ut redderem alios ad caetera prosequenda alacriores. Hi enim libri nihil fere quod ab aliis authoribus (iis duntaxat qui extant) traditum est, continebunt. Atque hinc principium nostrum auspicemur.
少なくともわたしとしては、このカミッルスに倣うことにしよう。彼をわが手本とし、微力を尽くして軍勢を用意しよう。それを敵どもに向けて、真っ先に率いよう。最前線に、それも一番乗りで駆けつけるのだ、君たちに勇気を与えるために。どうか諸君、このうえなく栄えある、このうえなく輝かしいこの戦を、ともに戦おうではないか。それはなにも、敵から祖国を取り戻すためばかりではない。奪還に際して、誰がいちばんカミッルスに近づくことができるのか、それをはっきりさせるための戦いでもあるのだ。彼が示しただけの戦績を挙げるのは、じつに至難の業だろう。思うに、彼こそはあらゆる指揮官のうちで誰よりも偉大であり、正しくもロムルスに次ぐ第二の建国者と呼ばれたのだから。そこでわれわれは、多勢をもって、各人それぞれ、この戦役に力を傾けることにしよう。一人が為したことを、ともかくも大勢で達成できるように。とはいえ、この仕事に最善を尽くした者、その人物こそが正当にもカミッルスと呼ばれ、評されることになるはずだ。わたし自身に関してこれだけのことを言い切れるのは、なにもこれほどの大事業の、きわめて困難な持ち場、いちばん過酷な方面を自ら受け持って、その任をまっとうしうると考えたからではない。他の者たちに、ぜひともこれに続く更なる課題へと邁進してもらいたいのだ。じっさい、これなる諸巻が扱う内容は、(現存するかぎりでの)他の権威によって伝わるものをほとんど何ひとつ含まないであろう。それでは、ここからわれわれの第一歩を、幸先よく始めることにしよう。
quod ad mē attinet: quod は関係代名詞(中・単・主), 挿入句として「私に関わる事柄としては」. hoc mihi propōnam exemplum: 指示代名詞 hoc(中・単・対)はそれに対する述語 exemplum の性・数・格に牽引されたもので、本来は hunc(男・単・対)であったはず, <代名詞主語の述語名詞への牽引>. quantulumcumque: 量を示すquant- に縮小辞 -ulum, さらに任意性を示す -cumque の要素からなる. Certēmus ~ certāmen: certāmen は<同族目的語>. nōn quod spārārem ~ sed ut redderem: 接続法が未完了過去で<副時称対応>なのは、おそらく執筆を開始した時点での意図を語っているため. quod は理由を導く接続詞, その内容が否定される場合は接続法をとる. Hī ~ librī: 全6巻からなる『ラテン語の粋美』本文を指す.
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おわりに:注解において定型の文法事項に<>を付してあります。ラテン文法の要諦とは、定動詞の人称・数および名詞・形容詞の性・数・格の特定からなる文法解析を基礎として、最大公約数ともいうべきこれら諸々の<型>に通じることにあると考えます。ご質問、ご指摘を歓迎します。
堀尾 耕一
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