西洋古代の人々が遺した書物に関する教育と研究と出版とを目的とする、この小さな施設を設立しようとする側の意図は、簡単なものです。
彼ら古代人が書き物に託した「思い」とは、つまりは「文明」という人間社会の新しいかたちを、主として文字を発明することによって始め、発展させ、しかもその巨大化していく「文明」との軋轢に、一個人として苦しんだ者たちの「思い」でしょう。
そして、今日、日本語を話す人間の社会にも、この古代文明の屈折ないしは発展した一形態、つまり西洋近代の文明は大きな影響力を持っています。どれくらいの割合で我々を支配しているのか、どれくらいの割合であればよいのかを、多くのひとが考えることすら拒絶しているかに見えます。それほど、巨大なのかもしれません。
しかし私は、いわゆる民族主義者ではありませんが、日本という東アジアの島国に暮らす人間として、この「文明」に自覚なく流されている状態は、けっして名誉ある状態とはいえないと思います。それを考えて行く力と、どんなに小さくとも、どんなに小さな範囲でも、「文明」としっかり対峙し、また変えていく意思を持つ人間が必要である、と考えます。しかも、その能力と意思を秘めた存在は、日々の実生活において文明との軋轢をじかに経験している、むしろ大学の外にいる人々のあいだでこそ、より多く見つかるはずだと信じてもいます。
古代ギリシア語やラテン語を学んで、彼らの「文明」に関する思いを読み取っていくことはそれほど容易なことではないと思いますが、ともあれ、言葉を学ばなければなりません。意欲ある多数の参加を希望します。
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