古典を新たな糧とするために・・・
盛 会 御 礼 !
ラテン語・ロマンス語学の専門家であり、また東西の演劇文化について造詣の深い
小林 標(こばやし こずえ)先生(大阪市立大学名誉教授)に「ローマ喜劇を読み直す」と題してご講演いただきます。
2024年 3月23日(土)15:00~16:30
府中市市民会館 ルミエール にて
当日は定例の「春のうたげ」が開催されます。
詳細については こちら。もしくは直接お問い合わせください。
小林 標
本稿を執筆したきっかけは、私が『ローマ喜劇』と題する本(中公新書、2009年8月刊)を書いたことであった。
ローマ喜劇、具体的には紀元前3世紀から2世紀にかけてラテン語で書かれ、ローマにおいて上演されたプラウトゥスとテレンティウスの作品は、すべてギリシアの新喜劇か中期喜劇をその種本としている。ギリシア新喜劇作家でただ一人完全な作品を残しているメナンドロスは少なくとも7作を両者に原作として提供していると考えられている。
とはいえ、メナンドロスの作のみならず、ローマ喜劇の現存26作品の原作であったギリシア語喜劇が完全に残っている例は皆無であるから、プラウトゥスやテレンティウスがどの程度原作に依存し、どこで独自性を発揮していたのかという問題はここ100年くらいの間延々と論じられて来た。
『ローマ喜劇』を書くためにそのような研究を読む必要が私にはあったわけであるが、読みながら疑問を感じることがしばしばあった。たとえば、メナンドロスと彼から4作品を原作として採用しているテレンティウスとの対照についての論考などである。そこに見られるのは総じて語の使い方とか人物の扱い方とか、要するにテキスト上の差異を扱うものでしかない。演劇全体としては同質のものとして、連続した演劇史に属するものとして、見ているのである。研究の出発点としてそれは正しい考え方なのであるか。
現存ローマ喜劇の殆どすべてがギリシア新喜劇からその題材を借り来たっていることは自明であるとして、だからと言って、それらを連続した「ギリシア・ローマ演劇史」としてまとめて扱って良いのか、私はかなり疑問に思っている。
言うまでもないことだが、演劇とは戯曲だけで成り立つものではない。それが最重要な要素ではあっても、舞台の上で役者によって演技と共に抑揚を伴って発声されることで音声化・可視化がなされるまでは、戯曲は真の意味を持たない。しかもそれだけではまだ不十分であって、そこにいる観客からの反応といった事柄も無視してはいけない。作者は観客からの反応を予測した上で書くのであるから、いかなる反応を期待していたのか、それを探らないことには喜劇研究にはならないと思うのである。単に戯曲として読み解くのではなく、劇場内で出現した演劇全体として考察することが必要なのに、そのような観点からのローマ喜劇研究はかなり乏しいというのが私の印象である。
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ローマ喜劇は、ギリシアの場合と同じく国家的祭に関連づけられた行事ではあったが、演劇以外の娯楽、たとえばボクシングとか綱渡りなどと同じ場所で時間をずらして開催され、それらと人気を競い合わされたものであった。テレンティウスの『義母』という作品が二度にわたって上演を中断させられたのは、そのような非演劇的娯楽の方に人々の関心が集中して劇場が混乱状態に陥ったからである。
ギリシアの作家、たとえばメナンドロスが他の喜劇作家と人気を競いあうことはあったとしても、演劇という形態そのものが他の娯楽と競い合わされ、もしかするとそれに圧倒されたかも知れぬような事態を想像しえたであろうか。
ギリシア新喜劇は、古喜劇、中期喜劇と続いた歴史を礎として生まれてきた演劇で、劇内容は変わってきていようとも、演劇の伝統はともかく強固にあった。一方ローマにおいては、演劇という芸術形態その物が文化先進国ギリシアから輸入された新しい様式であり、民衆の心の中でその立場はまだ確立されてはいなかった。そのような状況の中で作家は、様々な種類の娯楽がなされる同じ場所で、ともかく「演劇」というものを人々の関心の中に押し込む仕事から始めなければならなかったのだ。
同じ場所とは要するに劇場のことである。ローマ喜劇とギリシアの喜劇との差異、それを探る切り口はいろいろあろうが、その一つは演劇が行われる場所、「劇場」の実体を見ていくことであると思う。劇場は、多くのローマ喜劇研究書において不当に無視されていると私に感じられた要素である。物理的な劇場の構造に付いての考察はあるが、それだけでは不十分なのであって、劇場という観念そのものについて今一度考察がなされなければならない。
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劇場とは多重の意味を持つ言葉だ。多くの人にとって、劇場という語から最初に浮かんでくるのは、舞台と客席を併せ持った建物の外観であろう。しかし、外観や舞台・客席しか思いつかないのは素人だけであって、演劇の内実を多少とも知る人々にとってはそれでは不足であり、楽屋のごとき別のスペースも必要だし、大道具だの、それらを操るための裏方の人員までもが劇場の必要条件として考えられることであろう。つまり、物理的実体以外の事柄も劇場を意味するものの一部として想定されるはずだ。劇場とは演劇を行うために必要な条件を備えた場所のことなのだ。
しかし、「演劇のために作られた場所」と言い切ってしまえば、建物自体はもはや必要条件ではなくなってしまう。演劇的行為が行われている場所であれば、演技する人がいて見物する人々が集まっていれば、そこは劇場であると言えることになる。ローマ喜劇作家にとって劇場はどんなものとして存在していたのか。
ギリシア新喜劇の作者には、劇場が何であったのかなどと問う必要は無い。ディオニュソス劇場のごとき物理的実体が前時代から威圧的なまでに存在していたのであるから。ところがローマ喜劇が書かれた時代には、そんな実体としての劇場は存在しなかった。ローマでの最初の石造り劇場の建設は、テレンティウスの死後100年経ってからのことである。プラウトゥス、テレンティウスにとっては、祭のたびに建設され、その後取り壊される舞台とその前の客席のスペースこそが劇場であった。そしてそれはボクシングのごとき演劇以外の娯楽にも使われるものであった。つまりそれは劇場と言うよりは、「演劇も行われうる場所」という観念上の存在に限りなく近いものであったのである。
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その、「劇場として想定された仮の場所」で、彼らは懸命に「演劇の価値」を観客に訴えたのであった。ローマ喜劇作品の多くには、本筋が始まる前に劇の内容とは無関係な存在によって観客に述べられる前口上(プロログス)がついている。そこで作者は繰り返し「静粛を保って劇を見てくれ」と懇請するのである。
プラウトゥスは『カルタゴ人』という作品のプロログスで、まことに彼らしく滑稽に、客席内にいる人々を名指しする。彼の言うところではそれは「年増の男娼、横着な奴隷、席を見つけられずにいる自由民、仕事を忘れかけの乳母、腹を空かした幼児、おしゃべりに夢中の主婦」なのであるが、彼の真意は観劇マナーの徹底を呼びかけることである。
テレンティウスはそのプロログスで、自分の作風に批判的な老作家がいて自分の地位が脅かされていると言う。その言葉をそのまま文献学的資料とし、彼への批判者を同定したり批判の内容を分析したりする古い研究があるが、劇場内で観客に向かって発せられた言葉を大まじめに解釈するのは見当違いだ。テレンティウスの狙いは別にある。劇界の内幕をほのめかすことで彼は自作をアピールする機会としているのではあっても、彼にとってのもっと緊急なねらいは「演劇」という娯楽その物に人の関心を引きつけることなのだと私は考える。
『義母』のプロログスでテレンティウスは、自作の宣伝以上に演劇(ludi scaenici)を、さらには芸術一般(ars musica)を擁護せよと観客に訴えている。これは、芸術活動のためのマニフェストとして読まれるべき言葉である。テレンティウスのこの言葉は、同じく演劇に関する文言でもアリストテレスが行ったような過去に書かれた作品の分析ではなく、演劇制作の現場から発せられたマニフェストであるがゆえに貴重なのである。
プラウトゥスとテレンティウスの時代、ギリシア式の劇場はなくとも演劇はあった。演劇を創ろうとする熱意があったからだ。だから「演劇が行われる場所」として設定された臨時の舞台・客席があれば演劇が可能になったのである。ローマの共和制末期や帝政期になると、石造りの堂々たる劇場が造られ続ける。しかしそれは、演劇の創造力が枯渇して100年も経った後なのだし、そこでは演劇は創造されなかったのである。セネカの書いた悲劇は、劇場とは完全に無関係である。
「ローマ喜劇は文化運動であった」と私は書いた。ギリシアでは不要であった、このような運動性を無視してローマ喜劇を論じ、ひいてはギリシア・ローマ演劇史を論ずるのは浅慮というべきではないのか。『ローマ喜劇』を書き終わった今、私はその思いをさらに強くする。
この論考は、『ギリシア喜劇全集』第6巻「メナンドロス II」(岩波書店 2010年)の小冊子「月報7」に寄せられた文章を、著者の了解を得て一部改変のうえ掲載させていただいたものです。
この企画は終了しました
盛会御礼!
2022年 4月1日(金)18:00~19:00
さらに 19:30~21:00
<花見の会 online >
事前登録は不要です。学友のみなさまは、
時間になりましたらいつものZOOMにつないでください。
この機会に学舎を覗いてみたいという方の参加も歓迎いたします。「お問い合わせ」よりご一報ください。学内ページにご案内いたします。
三嶋 輝夫 / 堀尾 耕一
新学期よりプラトン『クリトン』講読をご担当いただく 三嶋輝夫 氏の近著『ソクラテスと若者たち』をめぐって、著者にいろいろとお話を伺います。とりわけ、ソクラテスに対するある種の「疑問」ないしは「不満」をストレートにぶつける若者たちに焦点を当てた議論は、哲学の始まりとしての「対話」そのものへの導入となることでしょう。
参加者の積極的なご質問、ご発言を歓迎いたします。
大久保 俊輔
当学舎の若い学友である 大久保俊輔 さんはこの3月に青山学院大学を卒業の予定、4月からは IT 企業に就職なさいます。
去る2020年2月8日(土)に行われた研究セミナーは、おかげさまで盛況のうちに終わりました。発表は大学の卒業論文をもとに行われましたが、当日のやりとりをふまえたその改訂版を、本欄に掲載いたします。
<発表要旨>
古代ギリシアの英雄叙事詩『イリアス』は口誦詩の伝統のもと、前8世紀頃に成立した作品である。口誦詩とは詩人が聴衆を前にして即興で歌うスタイルの詩であり、その内容は聴衆の好みによると考えられる。とすれば『イリアス』は成立した当時の社会の価値観を代表していると言えるのではなかろうか。そこで『イリアス』の内容を検討し、当時のギリシア社会の様相にまで迫っていきたい。
『イリアス』は戦場での英雄たちの誉れを歌い上げる。第一線で勇敢に戦う英雄たちの姿は、聴衆にとって一定の美徳を備えた優れた人々と映ったであろう。一方で主人公であるアキレウスはというと、こうした英雄たちと同じように捉えることができない。誉れの場であるはずの戦場からは離れ、仲間であるはずのギリシア人たちとの関係を拒否しているようにも見える。こうしてアキレウスは他の英雄たちと明らかに異質な存在と映るのである。
このアキレウスという英雄をどう捉えるかという問いは、彼が『イリアス』の主人公である以上、作品全体の理解に本質的な意味を持つものである。本邦においては川島重成の解釈が大きな影響力を持っているように思われる。川島によると、アキレウスは既存の価値観から脱却した「新しい英雄」であり、ヒューマニズム的な人間真理に目覚めた英雄と理解される。一方で安西眞はアキレウスをむしろ古いタイプの英雄として解釈する。そして「アキレウスの怒り」も古い英雄原理を体現するアキレウスと、アガメムノンを頂点とした新しい社会との価値観のギャップに基づいていると理解すべきであるという。
どちらの解釈にせよアキレウスを彼の属する社会との価値観の相違に苦悩する英雄と捉えている点に変わりはないようにも思われるが、筆者はアキレウスを古い英雄と捉える方が妥当であると考える。アキレウスを社会の変化に取り残された英雄と理解するとき、当時の社会変化がより重大であったことがわかる。
研究発表のすすめ
研究所としての学舎の中心的な活動領域です。テーマは参加者の自主的な判断を基本としますが、同時にこのセミナーは、可能なかぎり、出版活動を視野に収めたものにしたいと目論んでいます。つまり、ここで討論に付される話題は、発表者にとって、注釈書の一部にしたいこと、注釈書や研究書籍を執筆する過程でどうしても他者の意見を聞いておきたいことであるのが望ましい、ということです。むろん、「本にする」というアウトプットが先行して、研究そのものを不必要に縛るようなことがあっては本末転倒です。目指すべきは、互いに適度なプレッシャーを与えあう場であるといえましょう。
今のところ、ギリシア語文献研究、ラテン語文献研究、古典学方法論、という、大きく3つの分野を考えています。その研究会の日時や内容の予告、およびその成果については、順次このページで公開していく予定です。発表を希望される方は、「お問合わせ」フォームをとおして、発表概要および時期を明記のうえ、どしどしご応募ください。
安西 眞
東京古典学舎
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横浜古典学舎